小さな物語

まぁとなぁの物語 
                   -鍋-

ガタガタと音がする。
窓に隙間があるせいで、風の音がとても寒々しく聞こえる。

 窓辺に寄ってカーテンをそっと開ける。すでに日が落ちて真っ暗な外は何も見えない。それでも木立の向こうに車のライトが見えるかもしれないと、時計を横目に何度目の行動だろう。

 窓から目を転じれば、居間には小さなコタツと二組の座布団。コタツの上にはまだ、2人分の箸と取り皿、電気コンロがセットされているだけだ。ガラス戸の向こうの台所にはすでに鍋といくつかの副菜が出来上がっているが居間の様子はどこか寂しげだ。

 <今日は少し遅くなるよ、ごめんよ>のメールが来たから、少し時間をずらして夕食の支度をした。お腹がすいたけど、一緒に食べたいから待つ。

 二人で暮らし始めてもう5年。その年月が長いのか短いのかわからないが、今でも一緒にいることがいつも楽しく、一緒にいろんなことをしたくてたまらない。今夜はお鍋にしたいね、とどちらともなく朝食のときに話したから、鳥肉団子の鍋を作った。きんぴらごぼうも作った。

 「早く帰っておいで・・」心の中で呟いたそのとき、遠くから車の砂利を踏む音が聞こえてきた。窓辺に走りカーテンを開けると、玄関に向かう。何年経っても、こうしてパートナーが帰ってくるのを玄関で迎えることに心が弾む。車が窓の下に駐車され、ドアが開く。玄関のドアをいっぱいに開け、外に出る。冷たい突風が吹きつけ、寒さに思わず悲鳴を上げようとした瞬間、風がさえぎられて柔らかい手に抱きしめられる。

「寒いだろ、出なくてもいいのに」

見上げるとまぁの笑顔がある。

「おかえりなさい、まあちゃん」

ぎゅっとまぁの体を抱きしめる。風の中でも大好きなまぁの匂いが立ち昇りホッとする。

「ただいま、なあ。寒い~~っ、早く中に入ろうな」

「うん」

二人で急いで玄関に入り扉を閉める。ピタリと風を追い出した室内は嘘のように暖かい。

「そんなにまとわり付いたら、靴が脱げないよ」

笑いながらのいつもの会話だ。

「ただいまのキスは?」

「へ?違うだろ?お帰りのキスだろ?」

 これもいつもの会話なのに、毎回あきもせず繰り返す。どちらからともなく軽く唇を合わせる。二人のお帰りの挨拶としての儀式が終わって初めて、帰ってきたという実感がわくのかもしれない。

「ご飯、できてるからね~」

 まぁが身支度をしている間にすばやく台所と居間を行き来する。
先ほどはわびしく見えた居間の様子が見る見るうちに変貌する。

 ぐつぐつと音を立てながら湯気の立ちのぼる鍋、
 白ごまが彩るきんぴらごぼう。
 梅干しで和えた蕪、
 高野豆腐の卵閉じ、
 大根の味噌汁、・・・次々に食卓を埋めていく。

「お待たせ」

居間に入ったまあが感嘆の声を上げる。

「わぉ!旨そうだあっ! お? きんぴらさんだっ!いいね、いいね」

子供のように素直に喜びの声を上げるまぁの姿が嬉しくて、ついつい料理に力が入る。

「なぁ~ ありがとうな。旨そうだよ。待たせてごめんな。」

気持ちをすべらかに上手に言葉にできるまあのお陰で、なぁはどれだけ幸せを感じるかわからない。

「うん、よかった、まぁちゃんが喜ぶかなって思ったら、料理がとっても楽しいよ。ちょっとお腹すいたけど、一緒に食べたいから待ってたの。平気だよ。遅くまでご苦労様だったね。」

相手の気持ちを受け取るだけではいけない。自分の中の気持ちを必ず言葉にする習慣がついた。

「いただきます、しよっか?」

「うん、ご飯、よそおってくるね!なぁはもう座っていいよ。」

「ありがと。お願いね。」

「今日はここにすっわろかな?」

ご飯を盛り付けた茶碗を手にまぁはなぁの横に入ろうとする。

「またあ」

口ではそういいながらも自分の席の横を空ける。

「はい、どうぞ」

うははは・・と訳のわからない笑い声を上げて、なぁの横に入り込む。

元々小さなコタツの一辺に何も並んで座ることはないだろうが、時々そうしたいらしい。

「狭いよ~きついよ~」

「いいの、まあ君は今日、なあちゃんのそばで食べたいの」

そう言うとすばやく頬にキスをする。

「もう・・赤ちゃんね・・」

「さ、食うか~ いっただきま~す!」

「いただきます~」

熱々の鍋から取り分けると

「ほい、熱いからな。ちょっと待ってな。」

唇を尖らせ、フーフーと冷ます横顔を笑顔で見つめているうちに、ふと、もうはるか昔になった出来事を思い出す。

 二人が時間をやり繰りしてようやく初めて逢えた時、鍋を食べたのだ。

 猫舌のなぁが取り分けた分も早く食べれられず、もたもたしている様子に、
 「ほら、かしてごらんよ」

 とすばやく入れ物を手に口を尖らせて一心に冷ましてくれた。その様子を見た瞬間、なぁは、かつてそうされた時間が確かにあったことを思い出し、涙が止まらなくなったのだ。なぁの涙に気付いたまぁはそっと取り皿をテーブルに置くと、静かになぁの横に移動したのだ。

「思い出したのか?」二人の間では主語を言わなくてもそれが誰を指すのかは暗黙の了解事項だった。
声も出せずにうなずくだけのなぁの頭をそっと自分の肩に乗せると、背中を静かに撫でながら

「忘れなくていいんだよ。なぁにとって大切な思い出なんだろ?」「辛いな・・辛いだろ?」

と囁き続けてくれたのだ。

 まぁの大きな手がゆっくりと優しく背中を撫でる。でも、まぁが撫でてくれているのは、体ではなくまだまだ傷ついたままでいるなぁの心なんだとまぁのしっかりとして暖かな体に体重を預けていきながら、なぁは気付いていた。

 そして、別れを告げた元の恋人の思い出をしまうべき場所にしまうことができたのだ。まぁはいつも言っていた。

「自分の気持ちに向き合って」と。でも、ゆっくりでいい、無理しなくてもいいから、と。

その言葉に支えられて出会いの日を迎えられたことを思い出していた。

「ん?どうした? ほら、食べられるよ。」

「あ、ありがとう!」

「なんか、思い出していただろ?」

自分の取り皿に取り分けながら、さり気なく尋ねるまぁ。

「いつもながら、勘がいいねえ。」

「なぁのことにはいつも勘が働くのさ。」

旨い、旨いと嬉しそうにほおばりながらも、初めての会った日のことを思い出していたの、と言うなぁの言葉をきちんと聴いている。

付き合い始めてから、長い年月が過ぎたがまぁの人の話にきちんと耳を傾ける姿勢は変わっていなかった。なぁと話すときはいつも正面から向かい合ってくれた。

テレビを見ながらとか、パソコンをしながら、というような片手間になぁと向き合ったりはしないことが、なぁには新鮮だった。

大切にされる、とはどういうことなのかを身を持って教えてくれたのがまぁだった。

「あたしがこうやってふーふーするのは、まだ辛いのか?」

心配そうになぁの顔を覗き込むまぁの表情は真剣だ。

「ううん、私はまぁちゃんにそうしてもらうのがとっても好き。嬉しいの。」

なぁの言葉に引き締めた表情がふっと緩み

「う~ん、甘やかし過ぎかな、おいらは。よしっ、これからはビシビシしごくからなっ!」

「どんな風にしごくの?」なぁの口調が可笑しそうに踊る。

「決まってるさ、ベッドの中でな、覚悟しな~。」

「もう~すぐそういうこと言う~。」

「へ~。なぁは嫌いなのか? ベッドの中は嫌いなのか?」

からかう口調はいつものことなのに、やっぱり少し頬を赤らめて

「嫌じゃ・・嫌じゃない・・知ってるくせに・・」

そんななぁの様子を嬉しげに見つめ

腰に手を回しなぁを抱き寄せると

「美味しい鍋の後は、なぁを食べたい・・」

耳元で囁くまぁ。うっすらと頬を染めたまま、頷くなぁ。

「さ、いっぱい食べような」

笑い声と湯気に包まれた居間は、穏やかな暖かさに包まれている。
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by julib2 | 2007-11-04 02:09
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